「C-brains Life」4日目は、今までと趣向を変えて『Webプログラマーの作り方』
異業種からWebプログラマーに転職するまでをざざっと書いていきたいと思います。
ichikawaのパーソナルデータ
- 1974年生まれの33歳
- プログラマー歴約1年半
- シーブレイン入社10ヶ月
1981年~1987年 |
小学校
地元にある私立の小学校に入学。
ランドセルの色は強制黒。
近所の赤いランドセルの子がうらやましかったです。
このころ任天堂のファミコンが発売。
買ってもらえず、一生懸命お小遣いをためて「ツインファミコン」なるものを6年生の時に買いました。今だに実家にあるはずです。
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1987年~1993年 |
中学~高校
中高一貫性の女子校に入学しました。
当時、神奈川県在住の中学2年生には、「ア・テスト(アチーブメントテスト)」なる高校入試には必要なテストがあったのですが、私立のため無関係でした。今では廃止されているようですね。
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1993年~1997年 |
大学入学~卒業
大学の専攻はドイツ文学。
通学に片道3時間かかるため、すぐに一人暮らしを開始。
PCはレポート作成の時ぐらいしか触らず、しかも持っていないので研究室のを借りていました。
このころはまだ携帯電話を持っておらず、就職活動の際にやっとPHSを買った覚えがあります。
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1997年~2006年 |
会社員(事務職)
新卒で入社したのは都内の生命保険会社。
配属は経理でした。
毎朝毎夕交代で金庫のお金を数えていたお陰で、札を扇形に広げるのと電卓の早打ちは未だに得意です。
その後転職しますが、そちらでも事務職。
ExcelやWordは使っても、プログラムをかく事には縁がない日々でした。
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2006年~2007年 |
Webサイト制作会社アルバイト(事務職)
Webサイト制作会社に事務職のアルバイトとして入社。
最初は電話応対や書類作成が主な仕事でしたが、段々と簡単なHTMLの修正や更新作業を手伝うようになりました。
それがきっかけで、もっと勉強したいと思い職業訓練校に通い始めます。
動機は『楽しく仕事ができたらいいな』という単純なものでしたが、そこで初めてPHPと出会いました。
学校で習ったことを復習しよう!と思っても、PHPの開発環境を作るところから四苦八苦してしまい、途方に暮れたことも数知れず。
ただ苦労の甲斐あって、思い通りにプログラムが動いた時の喜びと達成感が色々なことを忘れさせてくれました。
「新しいことに挑戦するにはパワーが必要ですが、目の前が開けたときの感動は、開発者だけの特権と思います。」という先生の言葉が、身にしみました。
この頃から漠然と、「プログラマーとして働けたらいいな…」と思い始めます。
授業は3ヶ月間で、HTML・CSS・PHP、他にもセキュリティや著作権など盛りだくさんのカリキュラムでした。
そのコースでは、最終的にショッピングサイトを制作しました。
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2007年~年末 |
派遣社員(プログラマー)
職業訓練校を卒業し、勉強したことを生かしたい!と思い派遣会社に登録しました。
仕事があるか半信半疑でしたが…あるもんですね!
登録からまもなく、未経験OKという都内の会社でプログラマーとして働き始めました。
『優しくて親切な人ばかりだから初めてでも大丈夫ですよ☆』という派遣の営業さんの言葉を信じて疑わなかったのですが…
現実は甘くありませんでした。
あ、たしかに周り人はいい方ばかりでした。
ただ人の移り変わりが激しく、3ヶ月目には2番目に古株になっていました。
なかなか周りに聞く事も厳しい環境だったため、またもや学校に通う事を決意。
週末に朝10時~の授業は色々と厳しいものがありましたが、分からない事を聞ける人がいるというのは、本当に心強かったです。
勉強すればするほど、それまでの自分の知識のなさに落ち込んだりもしましたが、学んでいくことで昨日まで分からなかったことが分かったり、できなかったことができるようになったり。
単純ですが、その嬉しさが何よりの原動力になりました。
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2008年~ |
シーブレイン入社(プログラマー)
2007年秋に、以前から購読していたバシャログのエントリーにて、シーブレインでのプログラマー募集を知りました。
応募するにはまだ経験が浅いかも…と思いつつ、このタイミングは逃したら今度はいつか分からない!と応募。
縁があり、2008年からシーブレインのメンバーとなりました。
現在、主にかかわっているのは、医療系求人サイトなどです。
kimoto、inoue、tanakaに助けてもらいながら、日々仕事に励んでいます。
これからも勉強するべきことが山積みですが、その事を喜びと思ってがんばっていきたいと思います。
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